呼びかけ文
関東大震災における朝鮮人、中国人虐殺100年
日本社会はこの歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、
再発を許さない共生社会への第一歩を
関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会実行委員会
1923年9月1日、南関東一帯にマグニチュード7.9の関東大地震が発生し、首都圏で死者10万人、住居焼失者200万人を超える、日本の地震災害史上最大の被害をもたらしました。2日には、「戒厳令」が布告され、軍隊が出動しました。翌3日朝「朝鮮人は各地に放火し不逞の目的を遂行せんとし…鮮人(ママ)の行動に対して厳密なる取締を加えられたし」との電文が、内務省警保局長名で船橋海軍送信所から各地方長官宛に送られ、政府によるデマ拡散となりました。流言蜚語が広がり、軍隊・警察・官憲の主導、並びに自警団を中心とする民衆によって、多くの朝鮮人、中国人が虐殺されました。また、日本の社会主義者や労働運動の活動家や、朝鮮人、中国人と間違われて一部民衆も虐殺されました。
日本では、近い将来、関東大震災級の大地震の発生が予測され、総理の下に「中央防災会議」が設けられています。同会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」が、2008年3月にまとめた報告書には、次のようにあります。
「武器を持った多数者が、非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという、虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害に遭った。加害の形態は、官憲によるものから、官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。…犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1~数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない」と指摘、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく」と結んでいます。
日本は、それまでに朝鮮、中国にたびたび兵を送り、侵略と植民地支配を推し進め、現地で朝鮮民衆、中国民衆の強い抵抗に遭っていました。日本軍は抵抗する民衆を武力で弾圧しました。1919年3月1日にソウルから始まった朝鮮の三・一独立運動は瞬く間に朝鮮全土に広がり、日本は軍、警察、憲兵、武装した民間人を動員して弾圧し、朝鮮人約7500人が犠牲となり、約15000人が負傷し、4万6000人余りが拘束されたといわれます。日本政府は、関東大震災で虐殺された人々の正確な数も調査しないまま、事件の隠蔽を計ってきました。朝鮮人犠牲者の調査は朝鮮人留学生が中心となって進められ、当初の「在日同胞被虐殺真相調査会」の名称は禁じられ、やむなく「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」として警察の遺体隠匿や焼却など多くの妨害の中で行われ、その結果を受けて、上海の大韓民国臨時政府・機関紙『独立新聞』(1923.12.5)は、犠牲者6661人と報じています。
臨時政府は、9月10日付けで、外務大臣チョ・ソアン(趙素昂)名で日本政府に抗議文を送り、①不法拘禁された韓人の釈放、②災害区域のすべての韓人の氏名・生死などの公表、③韓人を虐殺した者の厳重処罰、を要求しました。中国政府も日本政府に抗議するとともに、王正廷を団長とする調査団を派遣し、①加害者の処罰、②被害者への賠償、③中国人の身の安全を、要求しました。中国人犠牲者は、名簿に記録されているだけで750人以上とされます。朝鮮人・中国人虐殺は日本国内で起きた他民族大量虐殺(ジェノサイド)にほかなりません。
日本政府は、事件の隠蔽に走り、例えば、「読売新聞」の中国人殺傷事件に関する社説(23.11.7)は、削り取られて発行されました。中国人労働者の生活と権利のために「僑日共済会」を作っていた留学生王希天は、軍により密殺されました。1923年11月、外務省条約局第三課では、諸外国の11事例を調査のうえ、日本の国家責任は免れないとしました。清浦圭吾内閣は、24年5月27日、中国に「慰藉金20万円」の支出を決定しますが、結局、執行されていません。
戦後、在日朝鮮人を中心に、この虐殺事件について何度も問題提起され、その真相究明、責任の所在が問われましたが、日本社会がそれと向き合うことはありませんでした。2003年8月25日、日本弁護士連合会は、内閣総理大臣に対して、①朝鮮人・中国人虐殺事件の被害者、遺族に対して、国の責任を認めて謝罪すること、②虐殺事件の真相を調査し、その原因を明らかにすることを勧告しました。しかし回答はありません。1948年12月、国連総会は「世界人権宣言」を採択し、その後「人権の主流化」を目指し、1965年には、条約第一号として「人種差別撤廃条約」を採択しました。その前文には、「国際連合が植民地主義並びにこれに伴う隔離及び差別のあらゆる慣行を非難してきたこと…」とあります。2001年8-9月、国連主導で南アフリカで開催されたダーバン会議(「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に反対する世界会議」)では、アパルトヘイト、ジェノサイド等の悲劇の犠牲者への謝罪と尊厳の回復、及び補償の道義的義務が認められました。
2020年1月、神奈川県「川崎市ふれあい館」に、「在日韓国人をこの世から抹殺しよう、生き残りがいたら残酷に殺しに行こう」との「年賀はがき」が届きました。2021年7月から8月にかけて、韓国民団・愛知、名古屋韓国学校、京都府ウトロのコリアン集住地区の民家など在日コリアンに関係する施設・住居などへの連続放火事件が発生しています。差別的動機に基づく犯罪・ヘイトクライムが後を絶ちません。その一方で、国レベルの高校無償化からの朝鮮学校除外、自治体レベルでの補助金支給からの朝鮮学校除外などの「公的な差別」も継続しています。
国連・人種差別撤廃委員会は、日本審査後の「総括所見」(2018.9)で、「直接的及び間接的な人種差別を禁止する具体的で包括的な法律を採択するよう」勧告しましたが、日本政府はそれに応えようとはしていません。
「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に、歴代の東京都知事は「追悼の辞」を送付してきましたが、「朝鮮人虐殺は濡れ衣で、日本人を辱めるもの」などと主張する都議の議会質問や、主張を同じくする団体が独自の追悼式を行い始めた2017年以降、小池百合子都知事は、突然「追悼の辞」を送付しなくなりました。他民族虐殺の事実を否定する姿勢の表れと言うほかありません。
かつての日本の同盟国ドイツでは、ワイツゼッカー西独大統領が戦後40年の記念演説(1985.5)において、「後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません、しかし、過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目(ママ)となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と述べています。日本の防災会議の報告も、「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要」と指摘しています。
百年前に日本で起きた他民族虐殺の歴史は、その真相を究明し、国家の責任を問い、犠牲者の尊厳と名誉の回復に努め、人類の教訓の一つとして、後世に伝え、世界の人々と共有しなければなりません。今こそ日本社会が、この歴史に誠実に向き合う春秋(とき)です。二度とこうしたジェノサイドを起こさないために、多民族、多文化が、共生する社会に向けて、その第一歩を踏み出そうではありませんか。
本年8月31日(木)の追悼大会をはじめ、関連活動へのご協力、ご参加を呼びかけます。
2023年2月